こちらは、人魚の写真館となります。
人魚信仰―海が荒れ続ける時は、女の生贄を海に捧げれば海が凪ぐ―の残る
小さな漁村を舞台にした、愛の物語。
八、人魚 ―死せる花嫁―
朽ちるとも、
白い肌はみずみずしく、
鈍色の瞳は光に満ち、
朱に染まる唇は艶やかに微笑んでいる。
朽ちるとも、
白き衣を纏う花嫁と、
三々九度の杯を交わし、
生涯共に生きる契りに心が躍る。
幸福である。
どれだけ貧しく、
どれだけ飢饉に晒されようとも、
其の肉体が此処にある限り――。
「衆に押し出され、
凍てつく海を泳ぐ花嫁に、
私は人魚を見たので或る」
大正十二年二月某日
人魚はとても有名な妖怪なので、名前としては知らない方はいないでしょう。
とはいえ、一般的に人魚と聞いてイメージするのは、マーメイド、セイレーンといった西洋のものでしょうか。
日本の「人魚」は、人魚そのものの存在というよりも、
「人魚の肉=不老不死の象徴」というお話になることの方が多いと思います。
ある漁師の娘が、それと知らずに人魚の肉を食べてしまったことにより不老不死の身となり、そのような状態では村に居続けることは出来ず、尼となって各地を放浪することになった。という「八尾比丘尼(やおびくに」の逸話が、日本の人魚としては一番有名かと思います。
今回の物語は、人身御供のお話でした。
人魚信仰の残る小さな漁村。悪天候で漁が叶わない時は、神頼みで若い女を海に生贄として捧げている。
その犠牲となったのは自分の孤独を救ってくれた女。
海に放り投げられた彼女を、「人魚になって必ず戻る」という約束を信じ、愛し、待ち続ける男。
そして、それを取り巻く親子や兄弟や夫婦や師弟、そして仏教の物語でした。
一人の犠牲でその他大勢を救うか、それとも、
その一人を救うことで大勢に我慢を強いるのか。
その人にとって、誰が何が一番大切なのか。
その違いによって幸不幸がわかれていく、そんなお話だったのではないかと思います。
今までの鬼よりも、全体的に明るい照明と広い舞台だったことにより、暗さ重さは変わらずとも、美しさ幻想さといったものがより鮮明に浮かびあがったのではないでしょうか。
海をイメージした壁の模様と灯りが、
個人的にたまらなく幻想的で大好きでした。
ここからは本編の写真です。
最後に集合写真を。
毎度おなじみですが、真剣なバージョンと、おふざけバージョンです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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