こちらは、第三回公演までの写真館となります。

 

この頃までは、残念ながらまだ本編中の写真や、集合写真といったものを、

きちんと撮っていなかった時代でしたので(今思うにとても残念)

 

舞台写真のみで失礼いたします。(第二回公演のみ集合写真つき)

 


 

一、『もの言わぬ火車』

 

「寂しいから、連れていくんです」

そうして私は気付いてしまった。
この村には妖怪がいて、
近々この中の誰かが死に、
その骸を奪われるのかを。

―葬礼の時、俄かに雷鳴轟きてその亡骸を奪う者在り―

 

鬼の居ぬ間に、最初のお話。

とはいえ実は今の劇団員みんな、このお話だけは見たことないのです。題名の付け方もこれだけちょっと形が違いますね。解説の難しい幻の作品。

 

火車とは、葬式や墓場から、悪行をつんだとされる人の死体を盗む妖怪です。

 

体が動かなくなる病にかかった妹と、その姉のお話。と、聞いております。

 

 

個人的には、ぜひいつか再演したいなと思っている作品になります。あらすじの雰囲気が好きなんですよね(個人的感想)

 

 

 

 

 

 

 


 

二、『小豆洗い ―泥を喰らう―』

 

――その男、小豆を洗う。
 小豆を洗いて、泥にまみれる――

舞台写真。

 

小豆洗いは、そのままずばり小豆を洗う妖怪です。音はすれども姿は見えず…というイメージが

一般的ではないかと。

 

このお話は、和菓子屋から醤油屋へと嫁いでいった妹をめぐるお話。

 

二つの家が舞台になるので、

真ん中の大きな土間と板間が和菓子屋。

板間と奥の障子戸が醤油屋。

という使い方の二場構成でした。

家の身分差が顕著なつくり。

 

意外と小道具が多く、箪笥だけでなく、そこかしこの空間に物を出したり隠せたりという工夫もされていました。

 

 

 


本番中の写真はないので、集合写真を二枚組で。

向かって左が、役のイメージで撮った写真。

右が、完全に役者の素で撮った写真になります。

現在の鬼の居ぬ間に女性団員が初共演した場でした。

 

 


 

三、『地獄篇 ―賽の河原―』

 

一重つんでは幼子が 紅葉のような手を合わせ 
父上菩提と伏し拝む 二重つんでは手を合わし 
母上菩提と回向する 三重つんではふるさとに 
残る兄弟我がためと 礼拝回向ぞしおらしや

達者な子供を見るにつけ なぜに我が子は死んだかと
酷や可哀や不憫やと 親の嘆きは汝らの
責め苦を受くる種となる
  
「賽の河原 地蔵和讃」より一部抜粋

単語としては有名な、賽の河原がモチーフです。

親より先に死んだ子は、その親不孝の報いを受け、積んでも積んでも鬼に崩され終わることのない石積の責苦を受ける、というものです。

 

このお話は、子供を亡くした2組の母親のお話(過去編)と。その物語を描くことによって関係者を救おうとする絵本作家のお話(現代編)の、

二つの時代のお話になります。

 

過去編では、まったく同じ間取りの部屋に住む、

隣同士の2組の夫婦の部屋になり。

現代編では、数年後そこへ(取材も兼ねて)越してきた絵本作家の部屋。

という、同じ部屋で、3つの空間を再現していました。

 

 

 

共演者の方から一枚だけ、本番稽古の写真を頂きました。ご協力ありがとうございます!

 

 

食卓の場面です。

とてもほのぼのした雰囲気のように見えますが、この後、主人公の一人である奥に立っている女性の言動で一瞬にして楽しい雰囲気は霧散します。

 

鬼の居ぬ間には、

食卓の場面がかなりの頻度で出ます。

時代や人間関係、貧富の表現などへの望月のこだわりだそうです。

 

 

本番写真がないので、作品の雰囲気が伝えられないのが残念です…。

文章で書いてしまうと、

第一、二回は、着物がメイン。第三回は、時代が昭和くらいのイメージだったので洋服を着ておりました。

いつか集合写真やそのほかの写真が発掘できたら更新したいと思います。

 

そして。第四回からは舞台美術さんに撮っていただいた写真が増えたので、充実した内容でお届けしたいと思います。

第四回公演の写真館へ進む→ 

 

お話の中身が気になった方はぜひこちらへ

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